2010年10月21日

水戸黄門で大至と相撲を見る。(3日坊主92巡目ー1)

10月18日に放送された「水戸黄門 第42部」の第2話を見ました。
何故かって?
元力士で現在芸能活動をされている大至さんが出演されていたからです!


http://www.tbs.co.jp/mito/mito42/story/02.html

奉納相撲を巡った諏訪でのいざこざ(家老の悪巧みで八百長やら賭博やらをしかける)というのが主なストーリーで、
大至さんは江戸から諏訪に奉納相撲に出向いた大関・江戸錦という役でした。
江戸錦はこの諏訪の家老にいたく気に入られ、
八百長相撲で勝ったらこの家老お抱えの力士になれるということで、家老と裏で契約を交わしていたのでした。

演技では、いつもの大至さんの風貌からは想像できないくらいに悪そうな顔をしていて、
さすがは俳優!と思いながら、
相撲のシーンはやはり一人慣れた手つきでリアルさがあり、
さすがは元力士!と思うのでした。

ところで…
相撲のシーンが沢山出てきたのですが、
江戸相撲ではこの設定はおかしいのでは?!という箇所が何点かあり、大変気になりました。
時代検証不足といいますか…
と言いつつ、そんな細かいことは誰も気にしないような小さなことなんですけれどね。
要は自分の知識をひけらかしたいだけです。
(しかも中途半端で曖昧な知識だから余計たちが悪い)
少し、お付き合いくださいませ。

◇仕切り線
昔の土俵入りには仕切り線がなかったはず。
仕切り線は、大相撲がテレビやラジオで中継されるようになって、
制限時間内に力士の息があう為だったか忘れましたが、
昭和に入ってから書かれるようになったはずです。

http://sumo.goo.ne.jp/ozumo_joho_kyoku/yomu/001/076.html

◇行司の格好
行司が烏帽子をかぶって直垂を着ている、今と同じスタイルで登場していましたが、
江戸時代の行司は武士と同じような、ちょんまげ・裃(かみしも)スタイルだったはずです。
明治時代になってちょんまげがなくなってしまったので、烏帽子で隠したとかいう噂を聞きましたが…
ちなみに現在の烏帽子・直垂スタイルになったのは、明治後半のようです。

http://sumo.goo.ne.jp/ozumo_joho_kyoku/yomu/001/020.html

photo:01


↑ネットからの拾い物ですみません。
拝借元:http://jipa.info/information/sumou.htm


これしか発見できませんでしたが、
実はもっと現在とは違う江戸時代の相撲の風習・文化・スタイルがあったかもしれません。
そのような歴史を学んでいくことは、とても楽しいです。
そして、テレビを見ながら間違いを探したりすることも、これまた悦の瞬間だったりします。

もっともっと、相撲知識を深めていきたいです。